校章・校歌

校章について

校章

 現在の校章制定前の校章は簡単に「中」の字だけであったらしいが、 明治35年に図画の教師であった乾南陽氏によって新しく考案されて現在のものとなりました。

 意図するところは、鶴岡の鶴を図案化して花鶴とし、 生徒が社会に出て鶴のように雄飛して欲しいとの念願がこめられています。 中の「高」の字は昭和23年高等学校になった時に「中」から「高」になりました。

校歌について

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 昭和23年4月1日、鶴岡中学校は鶴岡第一高等学校に、鶴岡高等女学校は鶴岡第三高等学校に改編され、新制の高校として発足しました。 ついで昭和25年には両校は統合され、鶴岡高等学校へと再編成されました。

 古くから両校には「鳳嶺月峰」と「庭の若松」の校歌があって歌い継がれて来ましたが、ここで校歌も一つにする必要に迫られたのです。

 当時の校長笹原儀三郎氏は、急遽本校の第16回の卒業生で、英文学者で詩人でもあった山宮允 (さんぐうまこと) 氏に作詞を依頼し、 山田耕作氏に作曲してもらって出来上ったのが、現校歌の「山河の姿」 (昭和26年1月) です。

 その後、僅か2年にして鶴岡高等学校は解体されて、現在の鶴岡南高等学校及び鶴岡北高等学校となりましが、 その後は「山河の姿」を南高等学校の校歌として歌い継いでいます。