2011

ノーマン・サープラス氏による鶴岡の紹介

ノーマン・サープラス氏が一時帰国した際に、Larne Times (ラーンタイムス) という地元誌に、 鶴岡滞在時に本校で講演したこと等について紹介されました。

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『ノーマン、日本の精神に鼓舞される』 翻訳 出羽庄内国際交流財団

 地球の反対側で2ヵ月の長きにわたり足止めをされていたラーンの冒険家ノーマン・サープラスがついに家族のもとに帰ってきた。

 勇敢かつ大胆なパイロットは、世界初のジャイロコプターによる世界一周を目指し、その行程の半ばを越えながら、 日本で8週間にわたり忍耐を強いられることとなった。 それは、彼の旅の次の旅程に入るためにロシア領空を飛ぶ許可をロシア政府から得るためだった。

 なんということか、ついにその許可は得られず、そして冬は足早にやってくる。 ノーマンはやむなくその記録への旅を一時中断せざるを得なかった。

 "ロクシー"との愛称を与えられた彼の愛機は日本の西側の海岸の地にある"庄内空港"に預けられ、 49歳の男はベイパークにある家に帰り、妻セリアそして二人の子どもフェリックスとぺトラに、 彼のここ2ヵ月の暮らしについてたっぷり時間をかけて話している。

「2010年の3月に、7月にはこの冒険を完了する予定でサンディーベイを出発しました。 それが、1年半たった今になっても終わってないとは思いもしませんでした。」

 官僚主義が常に彼の冒険の前に立ちはだかり、数え切れない遅れをもたらした。 そんなお役所主義は彼にとって大きな痛手であるはずだが、ノーマンはあいも変わらずいつも前向きでそして楽観的だ。

「もちろん時には苛立たしく感じる時もありました。でも、そんなことで、もうやめた!なんて思ったことは一度もないですよ。 何度も遅れや後退を経験して、私は極めて達観したと言うか冷静になりました。くよくよしても始まらないと気づいたんです。」 彼は言う。「日本にいる間、時には淋しく思ったこともあります。時差の関係で愛しい家族と話すことがなかなかできなかったんです。 でも考えてみれば、もっと厳しい場所に留まらなければならない可能性もあった訳ですし、日本にはたくさん見るところもあるしいろんなことができたし、 私はだんだん日本の人たちがとても好きになっていきました。」

 ノーマンは、日本のある地域があの地震や津波によって大きな被害をこうむった日からそう時を経ずして日本に到着した。 そして、彼は日本国民が、被災者を助けようと多くの地から集まってくる姿に触れ感動した。

 彼はこうも言う。「私は津波の被害を受けた地を何か所か訪れました。そしてそこに住む人々のたくましさに驚かされました。 日本人はなんと誇り高き国民で、そしてとても人との関係を大切にする人々なんです。 そこでは、多くの募金活動がなされてました。最も被害の大きかった東北という地域に住む人々のための募金です。 その一つに『がんばろう、東北!』と書かれたTシャツを買ってもらうことによってお金を集める人々もいました。 私はこの活動に深く感動し、私のロクシーの機体にその言葉を張りました。日本の人々の心を、魂を表したかったのです。」

 ノーマンは、彼の滞在中に受けた土地の人々のもてなしに感極まったと語る。通訳などをしてくれた人々が彼が困ることのないように、 常に彼の面倒を見てくれた模様だ。

「私は、鶴岡と呼ばれる小さな海沿いの町にいました。ラーンにも似た町です。そして、私はその町の唯一の西洋人だったと思います。 通訳をしてくれた人々は時に彼らとその友人との時間にも誘ってくれました。私は彼らにとってちょっと物珍しい存在だったのかもしれません。 いろんな食べ物や飲み物、そしてそれらを囲んでの笑いに満ちた時間、そんな時間をたくさん経験させてくれました。 私はその役を煩わしいなどとは思いませんでした。なぜならそうやって私は、普通の旅行者では恐らく経験のできない、 本当のその地に住む良識ある日本の人々と時間を共にし、彼らの文化を味わうことができたのですから。」

 ノーマンは、彼が受けたこの上なく素晴らしい歓待に対し、何か鶴岡の人々にお返しをしたいと望み、そして地元の学校の生徒たちに講義をすることを快諾した。

 「それは素晴らしい経験でした。生徒たちは、私の冒険談を熱心に聞いてくれました。ほどなく町の人々は、 私が通りを歩いていると私に気付いてくれ、手を振ってくれるようになりました。」

 ノーマンの日本での滞在は容易には忘れ得ない印象を彼に残し、家に帰った後も再び生活に順応するのに時間がかかったと感じた。 「例えば日本では床に座って食事をするので、床にひざを付けることに慣れてしまいました。 また日本ではそれぞれの料理は別々の皿に盛られて出されるので、一枚の皿で食事をするのも家に戻ってからはおかしく感じられました」と話している。

 継続可能なエネルギーの会社を経営する二児の父は、残りの遠征の準備に忙しい。春が訪れる 5月には再開したいと願っている。

 ロシアから与えられるであろう飛行許可が下りた後、ノーマンはベーリング海へ向けて北上、 海岸沿いにアラスカを飛び越えカナダを通り、アメリカを横断した後グリーンランド、そして最終的に祖国に戻ってくる。

 もともとの予定よりもかなり時間がかかっているが、最後までやり遂げることが重要だと彼は強調する。

「ありがたいことに、この世界記録にはタイムリミットはありませんし、速さによって計測されているものでもありません。 もし予定通りに7月に旅を終えることができたら、地球上を時速 1.7キロで一周したことになります。 それは競うには難しい記録ではありませんね!しかし速さの問題ではありません。 このことをしようと思った一つの主な理由は、これが達成できることだと証明するため、 そしてジャイロコプターという機体が真剣に取り扱われるべきものであると世界に示すためです。 人々が記録を見て、それを越えるチャンスがあると気が付き挑戦してくれることを願います」

 ノーマンの世界記録への挑戦に隠されたもう一つの目標は、 彼自身2003年に克服した腸癌に対する支援の意識化そしてとても必要とされている基金を立ち上げることだ。

「もし私がこの努力の挑戦を成功裏に収めることができたら、私は成し遂げた最初の人となり、 それは誰にも取って変わられることはないのです!」と彼はしめくくった。

SPPを活用した鶴南ゼミでの取り組み

SPP(サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト)を活用した、 鶴南ゼミ「環境問題、資源・エネルギー問題を考える」(連携先:山形大学農学部、主講師:加来伸夫准教授 担当:池田 理) 「鮮度を科学的に探究する」(連携先:山形県水産試験場、主講師:佐藤 洋副場長 担当:猪口俊二) での取り組みが新聞記事に掲載されました。

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平成23年9月23日付 荘内日報


鶴南ゼミ「鮮度を科学的に探究する」(連携先:山形県水産試験場、主講師:佐藤 洋副場長 担当:猪口俊二)

■ 9月21日(水)

山形県水産試験場(鶴岡市加茂)に移動し、佐藤 洋副場長を講師にお願いし、 ヒラメ、アジ、マダイ等の魚の鮮度の見分け方(目やエラの色等の外見、臭い、筋肉の弾力等の違いと鮮度の関係)、 体長測定等の実習を行いました。

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鮮度判定の指標の一つである「K値」についての講義、測定原理の学習をしました。

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「K値」測定の前処理の実習、測定原理の学習、測定の様子の見学をしました。

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■ 10月12日(水)

酒田港に移動し、佐藤 洋副場長を講師にお願いし、山形県の研究調査船「最上丸」の見学と調査員の方々と 研究・調査活動についての目的や意義などについてのお話しを伺うと共に班毎に実際に乗船し、 船の装備についても見学研修をさせて頂きました。

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ノーマン・サープラスさんによる講演会

9月7日(水)、鶴南ゼミ「地域を考える」ゼミ (担当丸谷浩之教諭) において、 北アイルランド出身のノーマン・サープラス氏による全て英語による講演会が実施されました。 ノーマン・サープラス氏は、ジャイロコプターという小さいヘリコプターのような 自家用機で世界一周を試みていて、次の目標地点ロシアへの飛行許可を待つまでの間、 庄内に滞在していました。既に18カ国を回ってきていて、ノーマンさんご自身から、 もし自分の体験したことを学校の授業や英語クラブなどで パワーポイントを使った小さなレクチャーとして行うことで、 役に立てればという申し入れがあり、(財)出羽庄内国際交流財団の仲立ちで実現しました。 当日は、「地域を考える」ゼミ20名の参加者を対象にノーマンさんが今まで訪問してきた国々での エピソードなどをユーモアを交えてお話ししてくれました。 参加者からも英語での質問が出されたり、短い時間でしたが生の英語に触れる事ができた、 貴重な時間でした。

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